※蟹石ちょっと近づいた期 ※BUTまだ意思疎通は図れない ※相変わらず石井家は離婚 トロイメライ 母さんの作る料理は、はっきり言っておいしくない。実は父さんの作るものの方がうまい。でも言わない。近頃は家族のルールが厳しく、そして複雑になってきているから、どんなことが「カテイフワ」の原因になるかわからないから。ここ数週間で聞き慣れてしまった言葉を頭の隅に追いやった。 「蟹江くんのお弁当、おいしそうだね。」 そう言いながら申し訳なさそうに石井が菓子パンをかじる。 俺はこの瞬間がいっとう嫌いで、だって、そう。「ごめんなさい。」という声が聞こえるのだ。 石井の家が離婚した。そんなのは単なる事実で、俺には何も関係がなくて、せいぜいぶっきらぼうに呼びつける名前が変わるだけだった。それでも旧尾崎家にはたいそうな変化だったらしく、柔和で優しい彼の母はしなびた花のようになった。 石井はいつも弁当を取られていた。綺麗に巻かれた玉子焼きに、アスパラガスの肉巻きに、ミニトマト。取られながらも石井は、どこか嬉しそうな顔をしていた。 足が遅いから、購買に並ぶのはいつも遅い。気が小さいから、下の学年の奴らにまで順番を抜かされる。だから石井が買ってくるのはいつも残り物のフレンチトーストだけだ。厚切りの食パンに、申し訳程度に砂糖とたまごがかかっている。中までなんて浸透していないから味があるのは表面だけで、パンだって冷たくてかたい。それを眉を下げて咀嚼するのだ。ごめんなさい。石井の目はいつも誰かに向かってそう繰り返す。行き場を失った俺の手は、小さな入れ物に入った調味料に伸びて、そのまま石井の持つその甘そうなパンへと向かう。今日は醤油だった。身体に悪そうな色のパンが、さらにひどい色になって、俺は空になった容器を石井の机の上に放り投げる。 「舐めて。」 石井は、けれども、舐めなかった。おずおずと舌は出したけれど、長い前髪がぱさりと机に落ちたところで顔を上げた。前はもっと従順だったのにな。俺は苛々して、右足で床を三回、蹴り叩く。 「かっにちゃーん!今日のデザート、おっ!ってこれ缶詰めかよ!相変わらずだなお前のかーさん!」 勝手に蓋を開けては文句をつける野村の手からタッパーを奪い取って、三本しか入っていない爪楊枝を出す。母さんはずぼらでぞんざいだ。「お友達と食べるでしょう。」と、いかにも良い母親を演じているが、いれてくる果物はいつも気がきかないものばかりで、今日だって缶詰だ。俺が誰と昼ごはんを食べているのか知りもしないから、こうやって中途半端な本数の爪楊枝を入れてくる。でも俺はその数を訂正することもしない。だから三本が四本に増えることはきっとこの先もない。 つるつるとすべる桃に楊枝を突き刺して石井の唇に押し付ける。ぐるんと一度、桃が回った。 「…食えよ。」 野村と藤田が、後ろで「異文化コミュニケーション!」とからかいの声をあげる。それを無視してさらに押し付けると、薄く唇が開いた。桃の汁が石井の顎を伝った。 「おいしいね。」 そう言って控え目に笑う石井を見て、やっぱり三本で正解だった、と馬鹿なことを思った。 |