※クレ→←シオ→アル
※アネモネになりそこないのクレアちゃん



アモネネ


 ふた月に一度か二度は贅沢をして、二人用の部屋をとる。それ以外はたいてい野宿か一人部屋だ。なんせ貧乏だから。
 野宿のときは交代で見張りを立てて、一人は毛布にくるまって眠る。時間になったら容赦のない蹴りが鳩尾にヒットして、起きるどころか永遠の眠りにつきそうになる。シーたん眠れると良いけどなぁ、と今日もいつものように思う。夜は寒い。そこらへんに蚊が飛んでいて、自分も既に何箇所刺されたかわからない。毎日のように十分に眠れない日が続くと、多少食事を我慢してでも屋根のある部屋に泊まりたい、シーツの上で眠りたいと思うようになるのだ。
 二人がいよいよ野宿に辟易して、いい加減目の下の隈も見過ごせない程になると、シオンが渋々ながら財布の紐を緩める。宿屋の女将と言葉を交わすシーたんを、俺はどきどきしながら待っている。今日の枕の数が俺の頭を満足させてくれますように!両手を胸の前で合わせてお願いをする。振り返ったシーたんが俺を馬鹿にするような顔を見せたら今日の枕はゼロ。俺は冷たい床に全身を横たえることになる。今日はどうだろう。…あー!……床だ。それでもあのごつごつした地面よりはマシだろうと奮い立たせてシオンの後ろをついて行けば、枕は一人一つ、シーツも布団も二人分あるようだ。何故だろう、と考えて思い至る。あぁそうか、シーたんが俺を馬鹿にするのはいつものことであった。

「良いの、シーたん。こないだも二人部屋とったじゃん。」
「良い臓器提供者が見つかったからな。」
「うわぁ物騒!もしかしてだから最近俺の荷物やたらと捨てられてたのかー!」
 シーたんはけらけらと笑ってベッドに荷物を放り投げる。1000年ぶりに再会したシーたんは少しがさつになっていた。それが微笑ましくもあり少し寂しくもある。
 シオンの成長を隣で見ることができなかったのが寂しいのかと聞かれればそれは少し違う。どちらかと言うと俺は、シオンが俺よりずっと先にこの世界と仲良くしてしまったのが寂しかった。自分だって叶うことならばもっと早くこの時代と対面したかった。
 シーたんがベッドのへりに腰掛けて、がんがんと踵をベッドの板にぶつける。かかとだけがほんのり赤くなって周りの白い肌を侵食する。
 シーたんはたまにこんなふうに小さな子供みたいな行動をする。今日みたいに足をばたばたと動かしたり、あとは朝食に出てくるジュースをぶくぶくーっと、泡立ててみたり。俺はそれについて何も言わないし、シーたんもしばらくすれば満足していつもの横暴な彼に戻る。幼児退行?いやいやいや。シーたんのはそういうのではなくて、もっと単純に、甘えたがっているのではないかと思う。
 基本的に行儀の良い人間だから、そういう行動にお目にかかれるときは滅多にない。ベッドに四肢を投げ出して、がら空きになったお腹を殴られるのは俺の役目だ。
「クレア。」
「うん?」
 赤くなったかかとをさすりながらシーたんが呼びかける。乾燥してひび割れたかかと。自分のかかとも同じようなものだろう。屈んで首をひねる、ただそれだけの動作が面倒くさくて似たもの同士の肘を見れば、少しだけ肌がざらざらしていて、満足してやめた。
「どうしたんだよシーたん。」
 彼のことだから呼びたかっただけ、なんて可愛らしい理由じゃないだろう。きっと後には何かしらの続く言葉があったのだけれど、その過程で回避不能な事故があって、永遠に回収不可能となってしまったのだろう。俺は固い椅子に座り直して、アルバくんへの手紙を書く。
「シーたんもアルバくんに手紙を書く?」
「…いらない。」
 くもった声が聞こえてきて、そっか、と返す。いらないだって、変なの。と、頭の中で彼が放った言葉の違和感を転がしていたら、書き途中であった文字にまで反映されてしまった。
『1000年たった世界にはおもしろいことがいらない』
 100も、1000も、もしかしたら100000くらいあったものが一瞬にして0になってしまった。どうせ捨てるものではあるのだが、二重線で訂正をし、下に小さく「いっぱい」と書いたらなんだか正式な文書のようになった。そしてゴミ箱に捨てた。
 俺はよく書き間違えをするから、自分でもたくさんの紙をちぎって丸めて捨てる、し、シーたんにも捨てられる。曰く、「見せられたもんじゃない。」どうせアルバくんしか見ないのに。シーたんの方がよっぽど見せられたもんじゃない気持ちを隠し持っているくせに。
 ぐしゃぐしゃと紙を丸める音にシーたんが顔を上げる気配がする。やっぱり、またあの格好してたんだな。俺は後ろを振り返って届かない手を伸ばす。
 
 シーたんがその「変な格好」をするようになったのは、結構最近の話だ。膝を抱えて座って、膝小僧のでっぱりに2つの眼球をはめ込むようにぐりぐりとする。痛くないのかと聞けば返事はなく、同じように自分もやってみれば、眼球のくぼみに膝がいい具合に収まって案外癖になりそうだった。
 ぐりぐり、ぐりぐりと夢中になって押し付けているシオンの様がめずらしくてしばらく眺めていると、突然その動きが止まって微動だにしなくなった。押し付ける力が強すぎて目を怪我したのだろうか、そう思って慌ててシオンの肩に手をかけようとすると、彼の周りの空気が一気に収縮した。
 本当に収縮したとしか言い用がなかった。周りにある空気をぎゅっと集めて、縮こまるようにしてズボンの裾を掴んだ。頭を膝に押し付けて、息を詰めて、触れるのも躊躇われるほどに身を固くしていた。
「シーたん。」
「…………。」
「泣いてんの、シーたん。」
「泣いてない。」
 確かにその声はしっかりしていて、涙をこらえているようには聞こえなかったけれど、それでも彼は普通ではなかった。喉から絞り出すように声を出し、何かを必死で我慢しているようであった。
 骨が浮き出るほど握られたこぶしをほどいてやりたくて彼の右手を触るとすぐに振り払われた。クレアの手を払い除けた手は行き場をなくして、ベッドシーツに叩きつけられた。強い力で何度も何度も繰り返し、シオンは彼の右手を叩きつけた。そのうち柔らかい布地では満足できなくなったのか、ベッドサイドに叩きつけるようになった。俺は唖然として見ていた。シーたんがこんなにも自分の中の衝動を堪え切れずにいるところを見たのは初めてだった。

 何もできずにただただ眺めていた自分であったが、シオンの手が次第に赤く腫れてきているのを見て我に返った。よろめくようにしてベッドの上に上がり、彼の右半身にしがみつくようにして右手を掴んだ。シーたんは抗議するような目をして再び俺を突き飛ばそうとしたから、俺は彼の頬を殴って、彼の体を下敷きにする形でベッドに倒れ込んだ。
「…な、にやってんだよシーたん。」
「離せ、クレア。なんでもない。」
「なんでもなくないだろ。どうしたんだよ、何我慢してるんだよ!」
「なんでもないって言ってるだろ!」
 叫んでからシーたんは罰が悪そうな顔をして目線を逸らし、小さな声で謝った。
「…アルバくんに会いに行こう。」
「…いらない。」
 まただ。またシオンはいらないと言う。いい、とか行かない、とかじゃなくて、必要がないのだと言う。必要がないと言う割にはその表情は苦痛をこらえているようであり、今にも雑多に折り重なった感情が爆発しそうだ。
 アルバくんのことが好きなんだろ、と、俺は声に出さずにシーたんを詰る。ずっと好きなんだろ。
 俺の親友は臆病で優しい人だから、おそらくその気持ちに蓋をしようとしたんだ。アルバくんと初めて会ったとき、彼は呆れるほど優しい人だった。シーたんのパパの中からずっと見ていた。空から弾丸のように降ってきて、張り詰めていたものを全部取っ払ってしまった。人のために頑張れる子、守りたいという気持ちを糧に剣を振るう子、そして何よりそのありったけの想いを精一杯届けようとする子だ。
 好きになることが罪になるなんて、そんなことないんだよ。そう言えたらどんなに良かっただろうか。俺は間違ってもそんなこと言ってはいけなかった。精々その赤くなった手の甲に唇を寄せることしかできない。
 シーたんは何も言わない。俺が手の甲だけじゃなくて、腕に、首に、頬にキスをするようになっても何も言わなかった。彼はわかっていたのだ。俺じゃあ心にキスをすることはできない。

 かけていた体重を戻して、シオンの顔を真っ直ぐに見る。その瞳は乾いていて、同じように頬を伝う一本線も乾いていてざらざらとしていたから、きっと彼は泣いてない。泣くっていうのは涙が溢れて顔中をぐちゃぐちゃにして大声を上げることだ。だから彼は泣いてない。
「シーたん。」
「うん。」
「好き。」
「うん。」
 家族愛、親愛、友愛、恋愛。どれをとっても正解で、どれをとっても不正解。どれかが欠けることはもっての外だけど、どれもが混ざり合ってもまだ何か足りない。組み敷いて欲をぶつけ合うには衝動も熱も持ち合わせていなくて、何も見ないふりをして口を閉じるにはエゴが邪魔をする。俺はシーたんのことを全部ひっくるめて好きだけど、シーたんを俺のものにすることは決してできない。シーたんは俺のことを好きでいてくれるけど、それは絶対的なことで天地が返ったって変わらない事実だけど、でもアルバくんのものだ。ずるいなぁと思う。優しくて臆病な俺の親友は、1000年離れているうちに狡さを身につけた。
「シーたんは?」
「なにが。」
「俺のこと好き?」
「あぁ。」
「アルバくんのことは?」
「………。」
「好き?」
 誠実と不誠実にはさまれて口をつぐむシーたんは本当に可愛いと思った。優劣をつけることなんてできなくて、どちらかを選ぶこともできなくて、そんな煮え切らない、勇者なんてとんでもないただの青年だ。彼の胸に渦巻く葛藤から彼を解放してやりたいと思うけれど、でもどうだ、自分の胸を覗き込んでみればそんな姿を愛おしいとも思っている。1000年間思い続けた親友と、光へ導いてくれた彼の勇者の間で揺れ動いて、困り果てて座り込む彼を憎らしささえ覚えるほど愛している。

 人を好きになって、いけないことなんてないんだよ。もしもそう言えたならば。
「好きだ。」
 たっぷり間を開けて返された言葉は思いの外しっかりしていた。俺は両腕でシオンの頭を抱きかかえる。
「そっか。」

 いけないことばっかりだ。