オーピーキューアールの寝言 ボクの背中にはチャックがある。銀色で、首から尾てい骨のあたりまでずっと伸びている。夜になるとちきちきと、小さな音をたててもう一人のボクが出てくる。最初の事は驚いて、(そう、ボクが驚いてぎゃあ!と声を上げると、もう一人のボクもその声に驚いてぎゃあ!と返した。)ボクは君を丸めて押し込めようとした。けれども君はボクを後ろから蹴って殴って噛みついて、散々な抵抗を見せるもんだから、ボクは「ちゃんとしめてね。」と言うだけにとどめて、諦めてボクの誕生を容認した。 ボクはボクの言うことがよくわかったし、好きな食べ物も、好きな女の子の趣味もばっちりだった。だけどボクは彼のことをボク自身だと認めるわけにはいかなかった。彼はボクに言うのだ、「シオンのことなんて本当は大嫌いなんだろう。」と。 僕たちはたいていのことをうまくやり過ごして、特に問題ない牢獄生活を送っていた。やる気のない執事長に指差されたときも「人に指さしちゃ駄目ですよ。」 「分裂しちゃったんです。」と言うだけでおとなしく帰ってくれた。というか、彼の場合は面倒ごとに巻き込まれたくないだけなのかも知れないけれど。食事は一つしか用意できないけれど、と言って、ティーカップを二つ持ってきてくれたときはなんだか嬉しかった。 ただ、ボクの保護者兼被保護者あるいは積極的被害者兼消極的加害者は黙ってなかった。 「なんですかストレスですか。」「こんな呑気な暮らししておいてストレスですか。」「あんたまるで阿呆そうな顔してるのにいっちょ前に思い悩んだりするんですね。」 その日のシオンはなんだか機嫌が悪くて、言葉にも棘があった。最初のうちこそボクも対抗してぎゃあぎゃあとわめいていたけれど、次第にそれも面倒くさくなって隅の方で枕を抱えて座り込んでいたら、シオンがボクの首の後ろに手を伸ばして、「なんですか、これは。」 まずい、と思ったときにはもう遅く、シオンは僕の背中にあるファスナーを強く下に引いた。するとぎゃあ!とまたどこかで聞いたような声がして、もう一人のボクが頭をさすりながら顔を出した。 「なんだよもー髪の毛巻き込まれたじゃないか!」 「…なんですか、これ。」 シオンが怒っている。ボクのことを指さしながら冷たい温度でボクに問う。涙目だったボクが頭をさする手をどけて前を見ると、どうやらシオンに気付いたようで露骨に嫌そうな顔をした。 「アルバ、なんでシオンがここにいるんだよ。」 「しょうがないだろ、今日家庭教師の日なんだから。」 「なんでバラしたんだよー!あの執事長とは違うだろ。あー!さてはチャックちゃんとしめてなかっただろ!」 「しめたよ!それにお前だってたまに上げきらないでいなくなっちゃときあるだろ!」 「うるさい!」 シオンが怒鳴って、ボクらは二人とも押し黙った。同じ四つの目が自分に集中していることが落ちつかなかったのか、気色が悪いと思ったのか、シオンはボクたちから目を逸らして言う。 「もう一度聞きます。なんですかそれは。」 「うーん。なんか、出てきちゃったんだよねぇ…。」 「そうじゃなくて、それは何者なのかって聞いてるんですよ。」 もう一人のボクがシオンに指を突き付けられて、「あの執事長と言い、お前と言い、人に指さしちゃいけないって習わなかったのか。」と文句を言う。普段のボクからは考えられない反抗的な態度にシオンが舌打ちをした。 「こいつはボクの友達さ。」 傍らの頭を不遠慮に撫でると、シオンは信じられないという顔をしてボクを見た。確かにこんなドッペルゲンガーを友達だと言うのはおかしいかも知れない。でもボクらはそんなこと気にならないくらいに仲が良く、打ちとけていた。 「すぐそいつから離れてください。」 「えっちょっと、なんで。」 「早く!」 シオンはボクの肩を強い力で引っ張って、ボクとボクを引き剥がす。アルバ!とボクは自分の名前を呼んで後ろを振り返ったけれど、そこにアルバはもういなかった。なんだか身体が少し軽くなったように感じた。 「あれは友達なんかじゃありません。」 いつになくシオンが真剣な顔をしてボクに言った。けれどもボクはその言葉の意味がわからなくて首をかしげる。あの執事長が言ってたのはこのことだったのか、とシオンが一人呟いて、ボクはその転がった言葉を並べて考えてみたけれど、何も入っていないボクの頭はそれを理解することを放棄した。 「あれは貴方自身であり、分類で言えば、」 分類で言えば、とシオンはひどく言いにくそうに繰り返す。 「魔物と同じたぐいのものです。」 眉をひそめて言うシオンに、なんでお前が申し訳なさそうなんだよ、と思った。 「魔物、かぁ。」 ある日突然背中から出てきて、しかもそいつは自分と瓜二つの顔をしていて。何かしらの型に当てはめるのなら魔物が一番ふさわしいのかも知れない。その可能性を疑ってみたことがなかったのかと問われればそれは嘘になるけれど、誰かの口からこうやってはっきり告げられるともう逃げられない。折角この生活も楽しくなってきたのになぁ。そうだろ、アルバ。そう背中にこっそり問いかけると、心臓のあたりが少し重くなった。 シオンが言うには、そいつはボクにとり憑いて、いずれはボクのなり変わりとして完全に意識をのっとってしまうらしい。意識を奪われたボクは一生鍵のかかった部屋から出られずに、精神の飢餓状態に陥ったあとに死んでしまう。彼は完全な魔物というわけではなくてボクの精神と魔法の融合体のような存在だから、半分くらいはボクなのだけれども、それでも人であるにしては中途半端で、欠落した感情も多いし、反対に暴走しかけの感情もある いわば人の失敗作。なりそこない。 色々な人の思念の残滓が積み重なって形作られたものが、最後に一番感情の大きかったボクのところに来てこうしてボクの形を模倣したらしい。 「今からそいつを引き離して殺します。」 殺す、だなんてそんな。シオンの口からその言葉をもう一度聞くことがあるとは思わなかった。お父さんを殺して、それで何かふんぎりがついてしまったのだろうか。いやそんなことはないだろう。彼は命に対しては人一倍敏感で、その重さをしっかりとわかっている人だ。そんな彼にここまで言わせてしまうのだ、これはきっと本当によくないものなのだろうということがわかった。 「…うん。」 「良いですか、俺が言ったら意識を集中して下さい。」 「うん。」 「いつもみたいに話しかけるイメージで、でも、絶対に掴んだ手は離さないで。」 「うん。」 「手を離したら逃げられますからね、どうやらあっちは俺のことを完全に嫌っているようなので。って、ちょっと聞いてますか?」 「シオン、ごめんシオン。悪いけど、ボクお前の言うこと聞きたくない。」 シオンは驚いて、それからすぐに怒りをあらわにした。ボクの襟首を引っ掴んで左手でボクの頬をぶった。殴られた頬は熱をもって、じんじんと、鼓動にあわせて痛みを伝えてくる。 「あんた死にたいのか!」 殴られたボクよりもシオンの方が泣きそうな顔をしていて思わず手を伸ばすと、ひどく傷付いた顔をして手を振り払った。 「もういい!もういい!」 怒ったシオンはそう言ってボクを乱暴に床に組み敷いた。石畳の床が背骨にあたって、ボクは痛い痛いとわめいたけれどシオンは聞いてくれなかった。 雰囲気なんてまるでなくて、甘く柔らかな空気どころか触れたら切れてしまいそうな緊張感の中でシオンはボクの唇に噛みついた。歯が当たって、皮が切れた感覚がして、血の味が喉の奥に染みわたったけれどもシオンはおかまいなしに唇を合わせる。ボクはなんにも気持ちよくなくて、痛みから逃れようと身をよじって抵抗しているのに、シオンは興奮しているのか、彼の性器を勃起させて、欲情と苛立ちの混ざった目でボクを射抜いた。 下半身に手をかけられて、静止の声も上げられないまま一気に服をずり下ろされた。ボクはそこで少し怖くなった。シオンは怒っている。ボクの声は届かず、このままシオンの気がすむまで嬲られて、彼の気持ちをまったく理解しないままボクたちは終わってしまうかも知れない。どうしたらいいんだろう、どうしたらシオンは安心してくれるのだろう。そうしてボクがとった行動は考え得る中で最悪のものだった。 「いいよ。ボクが受け入れてあげる。」 それから先は散々だった。ボクは慣らされもしないまま突き立てられて、ろくな快感を感じずに強制的に達した。泣き喚いて、殴られて噛みつかれて、シオンもボクもぼろぼろになって肉をぶつけ合った。その間背中のチャックがぎちぎちと断続的に鳴っていたのを覚えている。シオンは最中にずっとボクを偽善者だ、偽善者だと言いながら泣いていた。ボクはシオンの言っていることがわからなくて、ボクはお前のことが好きだよ、と返した。同じ男にそんなことを言われて混乱したのか、シオンはボクをさらに叩いて、だからボクはごめんなさいと繰り返した。 「嫌だって、やめてくれって、そう言えば良いじゃないですか。」 シオンが疲れ切った顔で聞いて、ボクは曖昧に笑う。 「ボクはお前が優しいこと、ちゃんと知ってるよ。」 シオンは絶望したような顔をして涙を流した。 翌朝起きると部屋も自分もすっかり元通りになっていた。眠っているシオンを見下ろしてボクは思う。彼はボクのことを偽善者だと罵ったけれど、ボクはボクの感情をすべて包み隠さず言っていれば、何かが変わったと言うのだろうか。ボクが最初からこの気持ちを、いつしか胸の中に大きく居座っていたこの気持ちを、お前にぶつけていれば、ボクはボクのままでいられたのだろうか。 シオンがゆっくりと瞼を開け、ボクの方を見て何事かを言いたそうに口を開きかける。ボクはその口を手で優しく封じて言う。 「お前なんかいなくなっちゃえばいいのにな。」 はじかれたようにシオンがボクを見る。アルバさんを返せ!と肩をゆさぶるシオンにボクは笑ってしまう。なんだ、お前だってあっちのアルバしか認めないんだろう。ボクだってアルバだボクだってアルバだボクだってアルバだ。シオンが思い出したようにボクの首の後ろをまさぐて、困惑したまなざしをボクに向ける。 だから言っただろう、チャックはちゃんとしめておかないといけないんだ。この偽善者。 |