透明ライン 世界の端っこまで追いかけっこがしたくてさ。俺は追手に捕まる直前で身をひるがえしてまた逃げる。逃げて逃げて逃げて逃げて、俺は笑いながら逃げて、馬鹿な連中は罵り合いながら俺を追いかける。道端の石ころにけっ躓いて、隣の人の腕が当たって喧嘩して、追い越せ追い抜けのゲームはいつしか俺を置き去りにして、彼らは楽しそうに遊んでいた。先頭を走っていた俺はすっかりはじき出されて、戻ろうにももう戻れない。こんなに高い場所に来てしまったんだ。てっぺんから下はよく見渡せても、彼らが俺を見上げることはなかった。彼らの背丈では屋根の上の雲を見ることが精いっぱいで、とても俺には届かなかった。そうしている間にどんどんと俺を知る者はいなくなっていって、あぁもうどうせ。どうせ今から降りたとしても無駄であろうと、俺は雲のもっとずっと高い場所から、彼らの作った小さな庭を眺めることにした。 そんな俺に挑戦者が現れた。非力な餓鬼だ。ここまで登ってくるなんて当然無理だ。この塔の入り口に辿り着く前にくたばってしまうだろう。 「準備体操にもならへん。」 ****** 「なぁソルくん。」 俺は多分、初めてこの少年の名前を呼んだ。まさかあの小さな子供がここまで来るとは!認めたわけではない。まだまだ弱い。まだまだ俺に歯向かうには到底足りない力だ。それでもここまで喰らいついてきた彼には、敬意を払っても良いように思えた。嘘やな、と笑う。嘘や。本当はただ単に嬉しかったのだ。 嬉しいというのは、楽しいとはまた違った感情であった。今までだって感じたことがないわけではなくて、感情が欠落しているわけではなかったのだけれど、それはより激しい衝動を伴う感情の踏み台でしかなかったのだ。嬉しいのには何か理由がないといけないと思いこんでいた。愉快な動乱が始まりそうだから、そのきっかけを作ったのがほかならぬ自分だから。だから嬉しかった。嬉しいという感情は次に続く愉悦のための単なるステップにしか過ぎなかった。自分は何のために走ったんだろうかと思う。瞼の裏に通りすぎた村々を思い起こす。どれも似たような村だ。自分は少年の力を試したかったのだろうか。けしかけることで、予期せぬ力の開花を期待していたのだろうか。そんなことはない、そんなことはもっと手短に単純な方法ですぐに確かめられるはずなのだ。 肩で息をする少年を冷めた目で見ながら考える。一体何がしたかったのだろう。少年は眼鏡をはずして、シャツの肩口で額の汗をぬぐった。 「終いや。」 下を向いたままの少年に声をかける。もう飽きちゃったんよ、追いかけっこ。 そう言えばいつの間にかもといた場所に戻っていて、そんなに長い間この少年の遊びに付き合ってやっていたのかと呆れかえる。 「終いや。」 もう一度言えば少年は顔を上げて、目を細めて言った。 「世界、楽しかったか?」 |