※夏←アキえり


無色透明


 前から思っていたけれど、アキラくんはそこらへんの男の子よりしっかり男の子だ。でも大人だ。ううーん、流石。
 私がデートして、と、半ば脅迫的に言ったとき、彼はふと考えて言った。「あまり遅くならないうちに帰ろうね。」
 あまりに普通に返されて、私はうろたえた。年頃の男の子は違う。こんなこと言ったら、素っ頓狂な声をあげて、にやにやして、それをまた隠そうとして、「どこ行きたいんだよ。」なんて、高圧的に聞いてくる。仕方ないな、俺は別に行かなくても良いけど、って。
 だからアキラくんがそうやって、私の目をまっすぐ見て言ったとき、私は本当の気持ちを見透かされているみたいだった。どこに行きたいの、なんて聞かなくてもばればれってことかな、敵わないなぁ。


「ここでねー、いっつも夏樹のこと見てたんだぁ。」
 見てるだけだったけどね。
 別にね、好きとか、そういうんじゃないの。あ、ううん。嘘。私今嘘言ったね。好きだった時期もあったかも知れない。
 でも、総括すれば、当時の私を、今の私が俯瞰してみれば、それは身を切られるような恋じゃなくて、
「愛だった?」
「うーん。…そうだけど、そうだけど、さぁ。それをアキラくんに言われるのはなんだかむかつくなぁ。」
 自分が定義するのはね、良いの。自分のことだから。でも、この間来たばっかりの人が、それも高校生だなんてとうに過ぎている大人が、知ったように言わないで欲しい。物事はもっと、複雑なの。そして複雑に考えたい生き物なのよ、女子ってやつは。

「えり香ちゃん。」
「なぁに、アキラくん。」
「大好きって、言った?」
 手がぎゅっと、学生鞄の持ち手をにぎった。肩にかけていたから、制服も一緒に掴んだ。
「かわいいんだから、言えばよかったのに。」
 アキラくんが、何も写っていない江の島の海を撮った。私は思う。何よ、あんただって一緒にいたじゃない。あんたは十分被写体の方だったわ。
 だって、下心なしで言えるか不安だったから。恋じゃないのはわかってるけれど、それでも、蓋をし切れていない感情が少し漏れてしまって、それに気付いた夏樹が、困る顔を見たくなかったから。
「私も下半身だけで生きてればよかったなぁ。」
「ぶっ!」
 何よ、失礼な。女子が純粋だなんて幻想は早く捨てることね。
「言っておくけど、俺と夏樹にそういう関係はないぞ。」
「知ってるわよ。」
 知ってるわ。あのとき私に言いづらそうに、でもすごく幸せそうに切り出した夏樹と、今のアキラくんを見ていれば、そんなのすぐにわかる。ちょっとからかいたかっただけ。そして、虐めたかっただけ。女の子の気持ちを小さじ一杯分傷つけた、そんなアキラくんに、やわらかい気持ちを持てることと、希望を持てることの素晴らしさを、教えてあげただけ。

「えり香ちゃん。笑って。」
 そう言って、アキラくんはレンズを私の方に向けた。にーっと、昔からよく機能する表情筋を動かしてピースサインをつくると、アキラくんはせっかくのシャッターチャンスを逃して、カメラをしまった。
「やっぱり、こっちの方が良いかな。」
 手で四角い枠をつくる。その枠の中に私はどうやって写っているんだろう。ズームも、加工もできないそんな使えないカメラだ。
 1.5倍、2倍、2.5倍…と、どこではかっているのかもわからないズームをしながらアキラくんがずんずんずんと近付いてくる。私のきれいにあがった睫毛がアキラくんにくっつきそうになるくらいまでズームをして、これじゃあピントがぼやけていてもしょうがないよね。
「するの?アキラくん。キスするの?」
「しないよ。」
 アキラくんはキスをしなかった。確かに。ちゅっと音はしたけれど、それは私の目尻にたまった水を吸い取る音だったから、キスにはカウントされないもの。

「えり香ちゃんかわいいんだから。」
 笑った方が良いよ。
 そんなことを自分はまったく笑わないで言うもんだから、私は宇佐美家の端くれとして口を開かずにはいられなくて、悔し紛れに「アキラくんは!良い旦那さんに!なると思います!」と、彼の耳元で叫んでやった。
 アキラくんは変な声をあげて飛び退いた。あぁ、だか、うぅ、だか呻き声をあげている。ざまぁみろ。

 空が赤い色に染まってきた。もう終わりの時間か。
「誰の?」
 帰り道、彼が急に真面目な顔をして聞いてきた。「えり香ちゃんの?」
 私は何のことだかわからなくて、きょとんとしていたら、彼はもう一度「誰の旦那さんになるの?」と言って、合点がいった。
「例えば君に今ここで求婚をしたら。」
「例えば君といつの日かセックスをしたら。」
「例えばそのもっと先のいつの日か君との間に子供ができたら。」
「そうしたら俺は宇佐美の遺伝子をもらえる?」


 外はもう暗かった。私はわざと家と反対方向に歩く。
 カメラなんて持ってなかった。スマホの充電も切れている。学校で、充電しとけばよかったなぁ。
 アキラくんの真似をして、指で四角を作って、もっと近くに、ズームを、ズームを。

「俺は泣いてないよ。」

 うっそだぁ。本当、男の子は嘘ばっかりだね。