rest of summer


 夏休みも半分過ぎた。

 ここ最近は自分でも認めよう、怠惰である。すべてのものへ集中が続かない。これはやばい、やばいぞ真田ユキ、と、自分に語りかけてそう、8月も半ば。
 江ノ島に来る前は夏休みの半ばともなれば出された課題の山も片付け終え、友達のいない自分は特に予定が入るわけでもなく、そうだなぁ。勉強してたかなぁ。我ながら寂しい夏休みである。後半なんてただの消化試合であった。
 ところが今回はどうだ。机の上に広げられた課題にはまったく手がつけられず、時折吹く風によってぱらぱらとページがめくられている。ケイトが部屋に掃除をしにきては、まったくもう、しょうがないわねぇと言って開きっぱなしにされた冊子を閉じて軽い動作で積み上げる。それをまた翌朝崩して開いて、握るのは鉛筆ではなく釣り竿。まったく、どうかしている。
 しかも釣りして帰ってきて、それからやるなら良いよ。いや、もうこうなったらやらなくても良いさ。もし俺が釣りして帰ってきて、その後夏樹たちとそのまま遊んで?暗くなって帰ってきて夕飯かきこんで、風呂入ったらもう良い時間で、ばあちゃんにおやすみを言って扇風機をタイマーセットして、ベッドに横になるならさ。
 たださ、なーんもしてないんだよなぁ。釣りして帰ってきて、何をするでもなくエアコンで快適な温度になったリビングうろうろして、スマホいじって。たまに自分の、エアコンがいまいち利いていない部屋にいって蒸し暑さに辟易して、風呂入ろっかなーでもまだバスタオル乾いてないなー俺今日洗濯したの遅かったしなーとかやって、そしたらばあちゃん帰ってきて、夕飯食べて。
 まだ少々生乾きのバスタオル手にとって、あぁ、これあとで洗濯した時間聞かれるかな、なんて思いながら風呂場向かって、あがったころには乾いていて、というか別に濡れてるから気にならなくて、水したたらせたままリビング行けば「ユーキ?今日は何時に洗濯したのかしらねぇ?」
 曖昧ににごして逃げるように部屋に行けばやはり暑くて、スマホを握りしめてごろんとベッドに横になる。
 二分前にきていたメールに素早く返信した。その前は七分前。お風呂からあがってすぐに返した。寝っ転がって、スマホをかかげる腕が疲れるそんな間もなく返事が返ってきて、うつぶせに姿勢を変えて、また返事を打った。
 ばあちゃんが様子を見にくる足音が聞こえたときだけ枕の下にスマホを隠して、スタンバイしてあった本を取り出す。たまに準備するよりも前にノックの音が聞こえて、白々しい声が出る。一言二言言葉を交わして(多分ばあちゃんにはバレているのだろう。)またそろりとスマホを取り出して、受信メールに安心する。もしかしてケイトさん来てた?という文面からは苦笑が聞こえそうだ。うん、大丈夫。とすぐに返信して、なんだかいけないことをしている気分になった。

 「夏樹、おはよう。」
 「うん。おはよう、ユキ。」
 0時になると決まって電話をする。おはよう、という言葉にいつも痺れを感じる。外は真っ暗で、まだ昨日の延長を過ごしているだけなのに、カレンダーの日にちは確実に変わっていて、そうしてまた自分は夏休みを一つ、黒く塗りつぶすのだ。
 「なぁユキ、俺全然宿題終わんねー。」
 「うん、俺も。」
 「てかそもそもわっかんねー。」
 昨日も、一昨日だってした会話だ。そうとも俺たちは確かに焦燥感を感じている。それでも緩い水の中を浮遊して、相も変わらず表紙だけを汚し続けている。
 始めるにはまず、敵を知らなければならない。一体いくつの教科が待ちかまえていて、ページ数はどれくらいなのか。俺たちがたゆたっていられるのはあと何日なのか。終わらない。終わらない夏の宿題。
 「でも仕方ないよなー。だってユキお前、俺といるときすっごい楽しそうだもんな。」
 ユキ、チョー楽しそーう!と、まるで似ていないハルの真似をして電話の向こうで夏樹が笑う。そういえばハルは宿題を終わらせたのだろうか。
 夏樹との電話は途切れない。寝転がっていたら腹に汗をかいて、パタパタとシャツで風を送りながら立って、少しの間だけスピーカーにした。
 夏樹の声に少しもやがかかる。俺は汗をかいたTシャツを無造作に投げ捨てて、取り入れてタンスに入れるのを面倒くさがったシャツを着る。あ、今ユキ着替えただろ、と遠くから聞こえる夏樹の声が淫靡に聞こえたのも夏のせい。
 肩と頬で電話を固定する必要もなくなった。現代の進歩はめざましい。少しでも机に近付こうものなら声が追ってきて、その足を止めるのだ。まだ良いじゃないか。まだ一日は始まったばかりなのだから。
 脱ぎ捨てたTシャツをかごに入れに行くか、そのまま知らないフリをしておくか迷った。前はこんなことなかったなぁ。そもそも、夜中に汗をかくことだってなかった。いつでも快適なリビングにいて、宿題をこなして、そして眠くなったら寝るのが俺だった。ユキはえらいわねぇ、なんて言っていたばあちゃん。本当は何を思っていたのか。
 しばらく返事をしていなかったスマホからは、夏樹の調子はずれの鼻歌が聞こえる。そろそろ聞かれるなぁ。「ユキ?もしかして寝落ち?」
 まだ一日は始まったばかりのなのに、寝るだなんて変なの、夏樹。けれども俺はそれに返事をすることはなく、ほどなくして聞こえてくる夏樹のしょうがないなぁ、とでも言うかのような笑い声を聞いて、にっこりとする。あぁ、もういいや。Tシャツは明日の朝出すよ、ばあちゃん。でも、洗濯機は回していってね。俺忘れちゃうから。
 やがて扇風機のタイマーが止まり、また朝が来て、そうして俺はまた教科書を一枚だけめくる。


 俺たちが共にいられる日はあとどれだけあるのだろうか。