外殻 午前二時も、午後四時も大差ない。時計の秒針が何回回ったところで、結局はセックスをしているかしていないかの違いでしかない。 俺はセックスをする度に胸の中でざわめく苛立ちを解消し、あいつは逆に怒りを生産する。セックスをしているときのあいつはいつもより随分とヒステリックでせっかちだ。だから俺はあいつが一つ要求をする度に舌うちをして、キスの最中に唇を噛む。俺の硬い歯が奴の下唇をちぎって血が流れて、皮がはがれる。再生する前にまたキスをする。要求されるんだ。「早く、」 前肢ががくがくと頼りなげに震えているのに、口から出る言葉は鋭い。使い慣れていない左肢でシーツを蹴る。 「早く、って、言ってる。」 曲げた中指で内壁を探り、目の前の動物を見下ろした。背中も、足も、下げた首も、腕も、その格好はどこもかしこも支配される側のそれなのに、彼の口からはやはり、支配者の言葉が出てくる。 昼間のお前とは、全然違うよな。 冷めた目で見ていると背中が一度震えて、どうだろう、やっぱり一緒ではなかろうかと思案する。 彼とどうしてセックスをするようになったのかと聞かれれば、魔がさしたから。嵌められたから。自殺願望があったから。エトセトラエトセトラ…。理由なんてあとからいくらでも出てくる。それ故すべての理由は嘘である。ただ一つ言えるのは、愛があったわけではない、ということだ。何故かって俺たちは、愛について、知らないことはたくさんあっても、知っていることは何一つなかったからだ。ただなんとなく、セックスをすれば愛情というものを、おぼろげながらにも語れる気がしていた。結果それは間違いであったというわけだ。俺たちの間には愛なんてものは生まれなかった。それでもセックスは気持ち良かった。 男はいつも、自分から脱いだ。木偶の坊のようにぼうっとつっ立っている俺の前で、とてもゆっくりと、丁寧に服を脱いでいった。どうせ脱いでしまうというのに、折れていた襟をわざわざ正してから脱ぐのだ。 「ごめんね。」 「………。」 「ごめん。」 上から順番にボタンをはずしていって、臍のあたりまで手が下がったところで謝られる。何か謝られるようなことをしただろうか。いや、何もしないから謝られたのだろう。 一度手伝ってやろうとしたことがある。一つ一つの動作があまりにも儀式じみていて、少し重荷に感じたということもある。しかし彼の方に手を伸ばした途端、鋭い声で遮られ、以来ずっと何もせずただ彼の所作を眺めている。 二度三度重心を左足から右足へ、右足から左足へと移動させてる間に彼はあらかたの衣類を脱ぎ終わる。畳みはせずに、フローリングの一か所に静かに落としていく。そうして準備がすべて整うと、彼は顔をあげて、「ごめん」という風に唇を動かすが、音にはならない。余計なものを脱ぎ捨てた男は、今この瞬間から別の人間だ。本来の姿がどちらなのかはわからない。でも、こいつは決して謝ったりしないのだ。 ベッドに乗り上げて、片腕をついて、自分で後ろの方へそろそろと手を伸ばす。既にもう興奮していて、うっすらと汗がにじんでいる。大して面白くもない小さな喘ぎ声を聞きながら、俺はシャツをぞんざいに脱ぎ捨てる。 ネクタイを緩めるとき、彼は一瞬だけ不満そうな顔をする。本当に一瞬だから、気をつけて見ていないとすぐに消えてしまう。運よく巡り合えたとしても、俺の心の中にはもやもやが残る。これは一体どっちのあいつが持つ表情なのだろうか。聞いてみたいと思うけれど、うまい言葉を探しているうちに待ちくたびれたあいつがマットをどんどんとやるから、聞けたことはない。 それにしても、いつも唐突に彼の内側へ指をもぐらせるというのは、小さな波紋を俺の中に呼び起こす。脈絡がないのだ。好き、嫌い、愛している。繋がりたい欲しい、いらないやめて。本当。痛いつらい我慢を、大丈夫。事前に交わすべき言葉が転がり落ちて、目の前に突然につきつけられる。これからセックスをするということ。おそらくは、それが愛の確認ではなく、欲望の処理のために、より大きく作用していること。放たれるべき言葉をベッドの下にがらがらと落としながら、俺は彼の指と入れ替わるように侵入していく。関節が飲みこまれていくごとに、俺は適切な感情を失っていくような感覚にとらわれる。それをごまかすように彼のしなった背中にキスをする。五回目のキスをしたところで、彼がうめき声をあげて、苛々と首を左右に振る。 「早く。」 「でも、まだ。」 「いいから。」 「そ、かよ。」 乱暴に指を押し込むと、案の定苦しそうな声が聞こえる。だから言ったのに、でも、良いと言ったのは石井なんだから、俺に責任なんてない。舌打ちをすると石井が笑ったような気配がした。 「きもち、い?きもちい?」 「まだ、気持ちよくなんて、なるわけないだろ。」 指しか挿れてないんだ、俺が気持ちよくなるわけがない。当たり前のことを答えてれば、それでも石井は嬉しそうだった。 「蟹江くんがいるだけで嬉しい。蟹江が、いるだけで。」 どうして言い直したのかはわからない。俺はこの真っ直ぐな愛情が怖くて、何かを返さないといけない気がして、目を背ける。 俺は何も返せないよ、と胸の中で訴える。そんな権利もないのだ。 石井の感情を揺り動かしているのが自分であること。俺の一挙一動がこの男に影響を与えるのだ。自惚れではない。いっそ自惚れであればどれほどよかったことか。 「お前のこと嫌いだよ。」 そう言ったときでさえ、彼は裏に潜むどうしようもなさに気付いて腕を回すのだ。 |