いつか


「良いの買えた?」
 時々ユキはおもしろいことを聞くと思う。
 授業が終わって、温かい飲み物を買いに行くと告げて、まだ支度をしているユキを残して教室を出た。
 整然と並んだ色とりどりの飲み物。つめたい、が、あたたかいになって、俺はいつも思うのだけれども、この表示はどのタイミングで変わるのだろうか。9月のときはどうだっただろう。もう変わっていたか、いや変わっていなかったような。
 財布の中身を見て100円を2枚取り出す。10円がな、足りなかったんだ。上段に同じ表示の、どう見ても同じ種類の缶コーヒーが2つ、100円と120円という別々の表示で並んであって、俺はその迂闊さに少し笑いながら小銭を投入し、お釣りの代わりにあたたかいを二つ手に入れた。

 教室に戻ってうっかりすると火傷しかねない温度のそれをそっと渡す。呆けたような顔をして、それから雲のように笑った。
 足をだらしなく投げ飛ばしてすっかりくつろいだ状態でプルタブに指をかける。そんな格好で飲んだらこぼすよ、という苦笑気味の声に生返事して一口飲めば、熱すぎて味がよくわからなかった。

 文化祭も終わり、テストも一段落して、落ち葉がかさかさと音を立てる以外はすっかり物静かになった。
 秋は大人になる季節のような気がする。
 師走に向けてこれから段々と忙しくなる。子供たちには特にやることなんてないはずなのに、何故だか周りに煽られて歩く速度も速くなる。

 いつから大人になるのだろうか。

 その問いはずっと昔からあって、おそらく自分以外の、そう、ユキなんかの心の中にもあって、それでもわかってることは「答えなんてない。」それだけだ。
 答えが出ない問いを考え続けるのは億劫である。そんなことをするよりはもっと生産的なことがあるはずだし、自分はそこまで気が長くない。どちらかと言うと、短い方だ。「一回しか言わないぞ。」なんて言っちゃって。思い出してふっと笑うとユキが不思議そうな顔をして見てきた。
 それでもたまには考える。たまにこうやって取り出して眺めて、扉をノックして、気が向いたらもう少し深くまで頭を突っ込んでみる。相変わらず答えは見つからないし、それどころかどんどん新しい謎が出てくるのだけれども、まぁたまになら良いかなぁと、17歳なりに妥協するのである。

 目をつぶって、しばらく手の中のあたたかさだけを感じた。一瞬動いた隣の気配が同じように静まっていくのを感じた。

 あったかいなぁ。
 とても、あたたかい。

 友情と改めて言うのは恥ずかしくて、くすぐったい。それから幸せだ。アキラはこんな気持ちをもうとっくに経験していたのだろうか。だとしたら羨ましい。いや、でも今こうして感じていられるのだから、それも手放したくない。
 この気持ちを感じられたのがハルと、アキラと、それからユキでよかった。
 これから冬になり、どんどん寒くなっていくとしても、それでもこれが良かった。俺はこの半年、すごく楽しかったよ。

 まだ目をつぶったまま、少しゆらゆらと身体が動いてしまっているユキを見る。俺は気付かなかったけれど、大層優しい眼差しで見ていたそうだ。瞼をおろすことでバランス感覚があやふやになっていたユキがあとで言っていた。優しい気持ちを感じたよ、と。

 好きだ、と。そう言ってしまえば簡単なのかも知れないが、まだそこに着地したくはなかった。好きよりももっと大切で、壊れやすくて、強くて、あたたかい気持ちであった。
 若気の至り、とでも言うのか、若さに任せて言ってしまうこともできるだろう。おそらくユキは嬉しい言葉を返してくれるのだ。びっくりして、でもやっと言ったか、と少し意地悪く目を細めて、口を数回開けたり閉めたりして、困ったように笑う。しょうがないな。しょうがないよね、と。

 それでも今日は言わない。
 いや今日だけじゃない。しばらくずっと、俺はその言葉を言わない。

 まだ自分の中で、好きという言葉が成熟しきっていないから。これは本当に、俺が本当に、大切にしたいと思ったことだから。
 だからいつか言おう。これから先二人が離ればなれになって、今みたいに頻繁に会えなくなったときに、喜びとともに生きていけるように。真っ直ぐ進んでいけるように。
 今は胸の中にしまって、来るべきときのためにたくさんのことを知って、感じて、生きていこう。

「帰ろう、夏樹。」

「そうだな。」