※ツイッタータグ遊び
※ばじこさんからタイトルいただきました第一弾!




 アルバは穏やかな寝息を立てている。その横に、三日間瞳を閉じることが叶わなかった一人の執事を置いて。


シンデレラコンプレックスの一枚皮


 毎朝泥のような眠りの中から緩慢に身体を掬いあげて、背骨を一つ一つ組み立てる。自分のために淹れるのは温かい珈琲で、それにはミルクをたっぷりといれ る。砂糖?砂糖は、いれない。ベッドのふちに腰掛けて、寝ぼけ眼で啜る。ここには行儀が悪いとたしなめる人もいないから、音を立てて啜る。火傷に気をつけながら半分まで飲んだところでテーブルに置いて、クローゼットの中から執事服一式を取り出す。これがまた面倒くさいのだ。お城の執事長になるためにはまず何枚もの服を順番通りに身につけなければならず、襟やら袖やらをぴしっと正さなければならない。トイフェルは最近この服を着るだけで肩が凝ってしまう。この服は外の世界と自分を結び付けてしまうから、怠けるために執事長になったというのに、怠けるのにも努力がいる。ドアを押し開いて鍵穴に金色の鍵を差し込む。他の鍵もすべて金色に輝いていて、その形は判別に困るくらい似ているのに、執事長にはどの鍵がどの扉にふさわしいか全部わかってしまう。そういうところはやはり執事長なのだ。そうだからこそ執事長なのだ。与えられた肩書きを少々持て余しながら今日もトイフェルは階段を下りていった。

「おはようございますトイフェルさん。最近早いですね。」
 牢屋の中には一人の少年がいた。牢屋が似合わないその少年は毎日白と黒の囚人服を着てトイフェルを出迎えた。いや、出迎える気はなかったのかも知れない。 単に彼はそこから半永久的に出られなかったから、だから出迎えるしかなかっただけかも知れない。トイフェルはこの少年におはようと言われる度に、何かを返そうと、それなりの気持ちを込めた会話を始めようとするのだが、いつもまとまる前に霧散して結局おはようございますと同じように言うのだ。
 満ち足りた日々であった。牢屋の中には二人しか存在せず、外部の侵入からは堅固な檻が守ってくれた。世界を救った勇者は世界から突き離されてここにいる。最初から世界に何の期待もしなかったトイフェルは自ら世界を突き放して同じようにここにいた。
 アルバとの会話はそう多いものではない。基本的にトイフェルは何をするでもなくそこにいるだけであったし、アルバの方も落ちついた少年であった。元勇者たちと旅をしていたときはそうでもなかったのかも知れないが、すすんで彼にちょっかいを出す者がいなければ大人しい男であった。彼はトイフェルが訪ねていったときは大体において元勇者に出された山のような課題とにらめっこをしていた。その量は通常考えられるくらいの量をはるかに超え、おそらく少年の睡眠時間を多少なりとも奪っているのだろうが、少年は文句も言わず、ときおり頭を捻りながらペンを動かしていた。
「お城の人が、貴方が起きてくるようになったって言ってたんです。」
「はぁ。」
 起きてくるようになった、とはなんとも情けない話であるが、確かにトイフェルが日の登っている時間に活動をしているということは珍しいことであった。改心したんですか?と笑いながら言うアルバに改心ではないだろうと頭の中で返す。
 最近はね、少し起きていても良いかなと思えるようになったんです。
 それはボクがいるからですか?
 思いのほか真剣な目をしたアルバが手を止めて聞いた。この少年は時々こうやって狡賢く、卑怯な聞き方をしてくる。アルバの魂は澄んでいてまっすぐで、とてもきれいな色をしているが、こういうときトイフェルは本当にそれが彼の色なのかと疑ってしまう。
 トイフェルはその質問には答えずに目を瞑る。前はこうすればすぐに夢の世界に入り込めた。現実をシャットダウンして、嫌なものはすべて見ないふりをして、 楽しいことだけを考えていられた。別に夢を見なくても良い。怖くて暗いこの世界を少しでも長く見ないでいられたらそれで良かった。
「楽しいみたいです。」
「楽しい?」
「そう、少しは。少しだけだけれど。」
 なんとなくばつの悪い気分になって、最後の方は声が小さくなった。目を泳がせて斜め下の方を見つめていると、おもしろそうに小さく笑う声が聞こえた。
「ボクのこと好きですか?」
「好き、です。」
「少しだけ?」
「そ、れは」
 違います、とむくれながらそう答えた。


*****


 でもそう言えば、とトイフェルは思う。でもそう言えば、アルバくんから言ってもらったことはなかったなぁ。うさぎの形に切った林檎をアルバの口元に持っていく。もうお腹いっぱいですよ、と言うようにその口は開かない。
 特に幸せを感じていたわけでもないし、幸せを自ら求めて何か行動を起こしていたわけでもないから、彼を責めることはできない。楽しさだけに甘えて幸せを希求しなかった罰なのだろう。痛くて苦しいことは嫌だ。でも変わることはもっと嫌だった。だから現状に安住して、そこから進むことを良しとしなかった。あるいは進もうとしていたら何かが変わったのだろうか。アルバくんは今もここで起きていて、あの家庭教師から出された課題と格闘していたのだろうか。
 でも彼は今昏々と眠り続けている。
 耳の近くで大きな音を出しても、身体全体を揺さぶっても、身じろぎひとつせずにずっと眠っている。規則正しい呼吸音が彼の口から洩れていて、今彼はどんな世界を旅しているのだろうと想像させる。彼はきっと夢の中でも勇者をしているのだろう。でも今度は一人じゃない。彼の傍らにはあの男がいる。絶対にいる。
「アルバくん。」
 一体どんな毒を盛られたんですか?でも大丈夫、三日くらいなら俺だって眠っていたことがあるんです。
 眠り続ける彼の隣でトイフェルは起き続けていた。眠りの世界は怖い。彼は既に、彼が昔抱いていた思いとはまったく逆のことを思うようになっていた。もしも自分が眠っている間にアルバが目覚めて、そうして自分でこの檻を抜けて太陽の当たる場所にいってしまったら、そうしたらトイフェルはまた一人ぼっちになってしまうのだった。トイフェルはアルバの寝顔を飽きることなく見ていた。彼の寝顔は白く透き通っていて、世界で一番美しいと感じられた。触れることはしない。 ただただ見つめて、たまに声をかけた。
 次にあの家庭教師が来るのは二週間後。それまでになんとかアルバを起こさなくてはならない。自分がいるところで、本当ならば自分の手で起こしたい。トイフェル・ディアボロスという名に幸せと楽しさと、望むことが許されるのであれば、愛情を見つけてほしかった。アルバは実際、楽しそうに見えたのだ。静かな時間を共有し、彼のテリトリーを決して侵害しようとしない自分に、安心感を抱いていたはずなのだ。けれども彼は眠ってしまった。この世界をつまらないと感じてしまった。
 きっと彼を起こすのは自分ではないのだろう。
 そう思うとトイフェルは不安とそして同じくらいの喜びで眠れなかった。それならばいっそ、このままアルバが起きないままでも良いかもしれないとさえ思えた。どうせ起きてしまえば、彼は舞踏会へ行ってしまう。俺なら愛してあげられますよ。眠り続けるアルバでも、トイフェルは変わらず愛する自信があった。
「アルバくん。」
 毎日毎日おはようございますと繰り返す。おはようございます。でも、本当はまだちょっと眠たいんでしょう?支度は俺がやっておくので、貴方はまだ眠っていて良いんですよ。
 貴方が一生このまま起きないでいてくれれば、俺は両足を灼かれることもなく、ずっとずっと起きていることができる。アルバが眠るベッドには花を置こう。毎日一輪ずつ、そうしてたくさんの花に囲まれて眠る彼はきっと鏡も認めるくらいの美しさだ。額にかかる明るい色の髪の毛を優しい手つきでわけながらトイフェルは微笑む。今日は少し肌寒いから、自室からポットを持ってきて牢屋の中で珈琲を淹れた。砂糖を入れない代わりにアルバに口づけてその柔らかさと甘さを堪能する。
 貴方が俺に世界の素晴らしさを教えてくれたのなら、俺は貴方に眠りの世界を案内します。
「アルバくんには、きっとガラスの靴なんて似合いませんよ。」
 怪我をして欲しくないんです、と言ってトイフェルは笑った。



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