※とうさんのご本のゲストとして書かせていただきました。ありがとうございました!


世界の終わりと目覚まし時計


 朝が来て、夜が来て、一日が回って明日が来る。何度も何度もくり返される命に明日と名付けたのは、明るい未来を願ったからだろうか。だったらその願いは空に溶けて消えたのだろう。俺の立つこの場所は、過去も未来も焼け野ヶ原だ。
 何億光年もの果てにいる星たちは、空を飛んでいる最中に人々の願いの重さに耐えかねて落下してしまった。俺はそんな情けない星に三度も出会っていた。

 そいつは空から降ってきた。文字通り突然降ってきたのだ。後の俺ならきっと言うだろう、「恋が落ちてきた。」と。
「クレアシオン!」
 そう呼ぶ声はまだ幼い。高く、きゃんきゃんと泣きわめくような声。背丈も低く、力も弱い。けれども彼は勇者への憧れを一日中語り、なんの疑いも恐れもなく 勇者になることを望んだ少年であった。彼の語る勇者は優しく、勇敢で、どんな強い敵にも立ち向かい、世界を守ろうとする人間だった。俺の知る勇者ではなかった。優しくなんてない、残忍で、執念深い奴だ。何度も剣は折れ、ボロ布のようなマントをまとって何日も人がいない山奥を彷徨った。ヒーローなんて柄じゃない。よっぽど魔王と呼ばれる方がふさわしい人間だった。
 そんなことを知らない少年は今日も勇者の話をする。彼は一体何人の勇者を頭の中に住まわせているのか、毎日違う勇者の話をした。
 ある日あいつは心臓の近くに大きな怪我を負った。泣くこともできずにひゅうひゅうと細い息をくり返すあいつを、治療するのもそこそこに力の限り殴った。
「死んでたかも知れないんだぞ!!」
 軽い身体は簡単に吹っ飛んだ。俺は奴の胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。
「…なんで、あんなことした。」
 まぶたが切れて、血が流れている。左眼をとじたまま彼は懸命に笑顔を作って言う。
「だって、勇者だから。」
 道端で困っている人がいれば助ける。悲しみを抱えた人がいれば共に泣き、喜びを持つ人には花を添えた。でも今回のはそうではないのだ。痛い、苦しい、怖いことだった。
 自分より数段強い相手に何の計画もなしに突っ込んでいくことは、例え誰かのためであっても絶対にしてはいけないことだった。それをこの子供は知らない。知ろうともせずに、誰かのためであればすべて望まれる行為であるとした。
「勇者が死んだら、意味、ないだろ…!」
「わかってんじゃんクレアシオン。そう、だから、命を粗末にしちゃ、ダメだよ。」
 目の前にいたそいつはしゃんと立ってそう言って、一度口を大きく開けて笑ったあとにパチンと弾けて消えた。


 二度目は成り行きだった。確か向こうの方から声をかけてきて、「突然すまないんだけど、ちょっと助けてくれないかな。」と。聞けばもう何日もこの森の中を迷い巡ってるらしく、もう手持ちの食糧も尽きんとしている。男は腰かけていた切り株から立ち上がり、しまりのない顔で笑った。
 それから三日間、すぐに抜けられると思っていた森は散々に俺たちを邪魔してくれた。ぐるぐると同じ道を行ったり来たり、たまに新しい道に出たとしてもすぐに行き止まりにぶつかった。切り立った崖につきあたり、飛べないもんかと目の前の無防備な背中を蹴飛ばしてみれば、「かーさああぁぁぁあん!!」というなんとも間抜けな声を上げて落ちていった。
 陽が落ちる頃、そいつは体中に木の葉や枝をくっつけて戻ってきた。
「ママが助けてくれたのかもな。」
 そう揶揄するように言ってみれば、少しむくれた顔をしながら、「家族は大事なんだからな。」と言ってきた。
 家族。その言葉を聞いて連想するものはあまりに苦しい記憶だ。俺は今までずっと家族というものから目を背けてきた。あいつを家族と認めることは、もう今の俺にはできなかった。

「それにしても抜けられないねーこの森!」
 こちらの心情などおかまいなしに彼は呑気に伸びをして、鍋の底に残っていた肉をいじきたなく口の中に放り込む。苛々して彼の腰の、目立つ赤色の布きれをひっぱれば、短い叫び声をあげて尻もちをついた。
「狐に化かされてたりしてな。」
 久しぶりに笑い声をあげながらそう言うと、彼は虚をつかれたような顔をしたあと、少し申し訳なさそうに「狐、ね。ごめんそれはボクのせいかも…。」と言って笑った。
 一晩中歩きまわってようやく森の終わりが見えてきた頃、奴は手を振って言った。
「これだけは覚えておいて。お前はね、今魔王を追っているのかも知れない。でもそいつはお前のお父さんでもあるんだよ。確かにつらいことだ、知らない人だと 思った方が楽だろう。けど、お前にだってちゃんと家族はあるんだよ。魔王は勇者が、父親のことは子供が、止めてやらなきゃ駄目なんだ。」
 どうしてルキメデスのことを知っているんだ、そう聞こうと口を開くと、スカーフ一枚残してやっぱり奴も弾け飛んだ。遠くで狐が笑った気がした。


「で?三度目はボクだって?」
 ため息をつく姿は以前よりも大分成長している。背丈は伸びた。力もそこそこ。そして左眼は赤い色。呆れたように言う獄中の勇者に、呆れたいのはこっちだと思いながら心底蔑んだ視線を送ってやると怯えられた。そんなに殴って欲しいのだろうか。お望み通り平手で叩いてやると案の定「なんで!?」という困惑の声が返ってくる。うるさい喜ぶなゴミ。
「今度は何を教えてくれるんですか?」
 頬を叩いた手をきっちり拭きながら、せんせ、と茶化しながら聞くと、うめくような声が返ってくる。拭くくらいなら殴らなければいいのに…こぼれた愚痴にもう一回?と笑顔で問うと頬を引き攣らせながら後ずさった。
「そうだなーボクはじゃあ、ボクのことを教えるよ。」
「あなたのことを?」
「そう。でも教えることが多いから、今日だけじゃ足りないな。明日も、あさっても、そのまた次の日も。一年たっても終わらないかも。一生分くらいかなー授業期間。」
 すっかり住み慣れた牢屋の中で、アルバさんは鼻歌を歌いながら紅茶を淹れる。相変わらず立ち直りはピカイチだ。
 目をつぶってゆったりと、紅茶の湯気を飛ばしながら、アルバさんが俺の手の上に手のひらを重ねる。人差し指で二回ほど肌を叩いた。
「もし今夜、世界が終わると言われたらどうしますか。」
「うーん…。目覚ましを、かける、かな。」
 明日をちゃんと迎えられるように。お前とまた出会えるように。
 アルバさんが隣に来て俺の髪の毛をぐしゃぐしゃと乱す。いつもだったらすぐに投げ飛ばすけれど、今日は黙ってそれを享受する。
「人を愛するって、どういうことでしょうね。」
「あっはは、お前はもう知ってるだろ。」
 飛んで一千年。俺はあの人に二度も遭遇して、二度も教えられた。俺はまだ自分の過去と完全に向き合えてはいなくて、この人のように無条件で明日を待つこともできない。それでも諦め悪くこの目を覚ましてくれる人がいるのなら、案外良いものかもしれない。

「こうしてまた出会えたんだ。愛以外のなんだって言うんだよ。」

 流れ星に三回お願いしたら叶うんだって。三度目の正直で俺は祈る。遠い過去の人類が同じように祈ったように、すべての想いを託して祈る。
「貴方の明日が、輝かしいものになりますように。」

「お前も一緒だろ、シオン。」

 いつかの過去に瞬いた星が明日には光を失ったとしても、きっと太陽は笑うから。